檀家制度ってどんな制度?

結論!「檀家制度(だんかせいど)」とは、

 ・住職と共に寺院のサポートや維持管理を行うこと

 ・檀家の葬祭供養を独占的(優先的?)に執り行なうこと

など、寺院とのパートナー契約を差します。

檀家制度とは、古くは寺請制度(てらうけせいど)、あるいは寺檀制度(じだんせいど)ともいい、江戸幕府の宗教統制政策から生まれた制度で、家や祖先崇拝の側面を強く持つものなのです。

檀家とは「檀越(だんおつ)の家」という意味である。檀越とは梵語ダーナパティの音写であり、寺や僧の庇護者(ひごしゃ)です。

要は、支援したり守ったりする人のことを指すのです。

「檀家制度」の時代背景

日本に「仏教」が伝来したのは西暦538年(古墳時代)といわれ、今から1500年ほど前に伝わったとされ、庶民のお葬式と仏教が深く結びついて今の葬儀の形になったのが江戸時代初期(400年ほど前)とされており、この制度はできたきっかけは「キリスト教」の広がりとされています。

「キリスト教」は、1549年(天文18年)に「フランシスコ・デ・ザビエル」によって、日本に初めて伝えられ、多くの人々をキリスト教信仰に導いたとのこと。

江戸時代になって「キリスト教」はどんどん広がりを見せており、江戸幕府は、1612年(慶長17年)にキリスト教禁止令を出し、以後キリスト教徒の弾圧を進める。その際に、転びキリシタンに寺請証文(寺手形)を書かせたのが、檀家制度の始まりであるとされています。

キリスト教の教えは「神のもと、人は皆平等」ですから、「士農工商」の身分制度の江戸幕府とは相性が悪かったのでしょう。それもあって、日本史最大の一揆「島原の乱(1637年)」が起こったとも考えられています。(最近は宗教的な反乱という側面を再評価されています)

全国民が仏教徒となることを義務付けた

江戸幕府は、1612年(慶長17年)にキリスト教禁止令を出し、その際にキリシタンから仏教に改宗させ、寺請証文を書かせたのが「檀家制度」の始まりなのです。キリスト教徒ではないという証として身分問わずに寺院に所属し、寺が檀家であるという証明書を発行したのです。

これを「檀家制度(寺請制度)」といい、国民全員が仏教徒となることを義務付けるものでであったようです。

檀家にならないと、キリシタンのレッテルを貼られ、社会権利の一切を受けることができなかったといいます。

歴史的には強引な面はありますが、この「檀家制度」のおかげで全国各地の「寺院」は各地域で守られ、日本人独特である「おくりびと」などの死者を弔う「葬送」のやり方や、文化などが培われて来たのではないでしょうか。


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ハクルリ

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座右の銘は「先駆け」。マイブームは休みの日に愛犬を連れて行くドックラン巡りです。


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