大乗仏教、小乗仏教って何?

国立博物館が「小乗仏教」を「南伝仏教」へと修正

最近、私の知り合いの女性が 上野の「国立博物館」へ行ったところ、本館2Fの十六羅漢像の説明文に「小乗仏教」との表現(文字)があり違和感を感じ、その表現に対し「国立博物館」へ「最近の若いお坊さまがたは、小乗ではなく南伝仏教などとおっしゃるかたが多いようです」と、意見書を書いたそうです。

それに対して「国立博物館」は、女性の意見を元に説明文をわずか2週間で修正したというのです。

なぜ修正したのでしょうか?

結論から言いますと、大乗仏教が大半を占める日本で「小乗仏教」という表現をすると他の国から差別的だ、と受け取られる可能性があるのです。

それはなぜでしょうか。その理由を紐解いていきましょう。

そもそも、大乗とか小乗は誰の言ったこと?

まず、大乗とか小乗というのは、誰が言ったことなのでしょうか?


小乗仏教というのは、大乗仏教の人が言い出したことだと言う人がいます。
ところが実際はそうではありません。
小乗とか大乗といわれているのは、ブッダです。

『法華経』『涅槃経』『維摩経』などの大乗経典と、小乗経典の『阿含経』にも説かれています。

中でも『増一阿含経』では、
「小乗のよく知るところにあらず」
「世尊の所説おのおの異る。菩薩は意を発して大乗に趣き、如来この種々の別を説く。人尊く六度無極を説く、布施、持戒、忍辱、精進、禅、智慧力」と説かれています。


このように、小乗とか大乗とは、ブッダが言われた言葉なのです。

では、小乗仏教とか、大乗仏教とは、どういう意味なのでしょうか?

小乗仏教とは?

「小乗」とは、小さな乗り物のようなとされ、小さな舟に自分達だけが乗るイメージです。


小乗仏教の出家した人は、まず自分の修行をすることを優先して、自分がさとりをひらくまでは他人を救おうとはしないそうです。出家していない人は、僧侶にお布施をして、僧侶の修行を手助けします。ですが自分も修行しない限り、救われるわけではないというのです。


出家して修行した人だけが救われ、自分の幸せを優先する、救いの船が小さいようなイメージなのです。

これは、スリランカを中心に、タイやミャンマーなど、東南アジアに広まり、部派仏教とか、上座部仏教といわれる仏教の宗派です。

現代の日本でも、自己啓発セミナーなどで、「自分が幸せ(儲かって)ではないのに、人を幸せにできるはずがないから、まず自分が幸せになって(儲かって)いいのですよ」と教えるところがあるそうです。
これを悪い意味で理解し、小乗仏教的な考え方だという人もいるのです。

しかしブッダの教えは自分の幸せを優先しなさいという差別的な教えではありません。それに対し、どんな人でも救われる、大きな船に乗っているような教えが「大乗仏教」といいます。

日本も大乗仏教の国です。
では、大乗仏教とはどんな教えなのでしょうか?

大乗仏教とは?

「大乗」とは、大きな乗り物ということで、すべての人が大きな船に乗って救われるイメージです。

日本に伝わって現在残っている宗派は、禅宗も、浄土宗も、浄土真宗も、天台宗も、真言宗もすべて大乗仏教です。

大乗仏教の教えに一貫する特徴は、「自利利他」です。「自利利他」の「利」とは幸せになることですから、「自利利他」とは、自分が幸せになるままが他人も幸せになるということです。

分かりやすくいえば他人を儲けさせれば自分の儲けにも繋がる、ということです。自分が幸せを独り占めしてしまったらもったいない、他人を幸せになれば自分も幸せになるということになります。

それで、大乗仏教の人が行う教えには、小乗仏教の人たちが行う「お布施」が一番最初にあるのです。
お布施で他人に親切することで、他人を幸せにし、自分も幸せになるということです。

※仏教ウェブ入門講座より一部転載

小乗仏教と大乗仏教の最大の違い

↑※図:記事「日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ04」より

小乗仏教でも、もちろん利他は教えられています。小乗仏教の最高のさとりを開いた人は、人を救おうとします。


では、大乗仏教の自利利他とどこが違うのかというと、大乗仏教の自利と利他は一体のもので、自分が幸せになると同時に他人も幸せになりますが、小乗仏教の場合は、まず自分が幸せになってから、他人を幸せにしようとなります。

これは大乗仏教が自分と他人を同時に幸せにするのに対して、小乗仏教では自分の幸せが先で、他人の幸せは後ですから、他人よりも自分が幸せになるのが優先という風に見れるのです。

自分のことばっかり考えている人は、幸せになれるはずもなく、利己的で、自己中心的な考え方は、仏教ではありません。これを「我利我利(がりがり)」といいます。
「我利我利(がりがり)」とは、我が利益、我が利益と書きますように、自分のことしか考えていないということです。

これを小乗仏教の根底を流れている精神と捉え、大乗仏教が正解の様な差別的な表現をしてしまう場合があるのです。

※仏教ウェブ入門講座より一部転載

このことから大乗仏教の信者が、自分の幸せばかり考える仏教を揶揄して小乗と呼ぶと考える人がいるのです。

そんなこともあり、私の知人女性は、差別的な表現とならないように最近の若いお坊さまがたは、「南伝仏教(上座部仏教)」と表現されているのですと、意見書を出したのです。

同じ仏教でも違いがあるものですね!私たち日本人の多くは大乗仏教ですので、小乗仏教の国の方と話すときは気を付けた方が良いでしょう。

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